藤沢周平氏は、昭和12年12月、東田川郡黄金村大字高坂(現鶴岡市大字高坂)に出生。

昭和17年4月、黄金村国民学校高等科を経て、

我々の母校である山形県立鶴岡中学校夜間部(戦後にいう定時制課程)に入学されました。

日中は鶴岡印刷株式会社で、後には黄金村役場でご勤務。

昭和21年に同校を卒業、山形師範学校(現山形大学教育学部)を経て、

昭和24年4月から2年間、西田川郡湯田川中学校で教鞭を取られる。

当時の教え子に、南高校で同期の工藤司朗君がいる。今でも、氏の未亡人との交友が続いてい

るという。

                                                 第62期生 佐藤 新市

                                             

 藤沢周平氏の文名が高いことは勿論知っていた。母校である鶴岡南高校の先輩であることも知っていた。更には、

母と同じ旧黄金村のご出身(氏は同村高坂で、母は「民田茄子」で知られる民田。)であることも、母の実家に住む従

兄弟から何度も聞かされていた。それでも、その著作を読もうという気は起こらなかった。ある日の関西鶴翔同窓会の

幹事会に、今は浦安に住んでおられる日向豊雄さんが氏の文庫本を何冊か持ちこんで、好きなものを持っていってよ

いというようなことを言われたときも、私は手を出さなかった。偏に、氏が「時代小説」の作家であるからだった。「時代

小説」は、広辞苑が「古い時代の事件や人物に題材をとった通俗小説」と定義するように通俗性を大きな特徴としてお

り、自称「純文学ファン」の私の好みには合うまいと信じこんでいたのであった。漢字の多くを、小学生の頃に親しんだ

立川文庫の講談「寛永御前試合」「後藤又兵衛」等々によって知り、その意味で「時代物」には大きな恩義があること

をすっかり忘れていたのだ。「若気の至り」と逃げ込むには、いささかトシを取り過ぎていた。恥ずかしい限りである。


 そろそろ7・8年も経つだろうか。そんな私が、ある朝東京へ向かう新幹線に乗るべく出かけた京都駅の売店で

、何気なく求めたのが氏の「蝉しぐれ」だった。車中で読み始めて驚いた。なるほど、主人公は牧文四郎という少年武

士であり、住む地は海坂藩、頃は江戸時代であるが、彼の息吹は現代に生きる少年のそれと全く変わらない。親友の

小山田逸平・島崎与之助との熱き交友も、隣家の娘ふくに寄せるほのかな想いも、私たち自身が経験したことではな

かったか。底辺に流れる崇高なまでのリリシズムは、正に現代のもので、私を惹きつけて離さなかった。東京に着くま

での間、いつもは欠かさない富士山を眺めることも忘れて読み耽ったことだった。                     


 「古い時代の事件や人物に題材をとっ」てはいるが、決して決して、同じく広辞苑が「芸術的価値に重きを置かず、一

般大衆の娯楽・慰安を主眼とする小説」と定義する「通俗小説」ではない。それどころか、見事なまでの芸術作品だ。氏

は、こんなに見事な作品を書く人だったのだ。私はそれまで、漱石の「三四郎」と井上ひさしの「青葉繁れる」を日本の

青春小説の頂点だと思っていたが、「蝉しぐれ」を知っては、これを更にその上に置かざるを得なくなった。これ一冊で

偏見から目覚めた私は、次々と氏の長編物を読み漁った。評判の「三屋清左衛門残日録」を始めとして、いずれも心打

つ見事な作品だった。中でも、「海鳴り」が特に印象深い。途中で、主人公新兵衛をこれから見舞うであろう悲惨極まり

ない運命が読み取れ、怖さの余り、そこで読むのを止めようかと真剣に思った。それほどの筆致、迫真力。事実、再び

読み始めるまでに1週間を要した。いいトシをした男を、こんな境地に追いこむ小説を私は他に知らない。鶴岡近郊松ヶ

岡の開墾を彷彿させる「風の果て」も、氏の代表作に挙げる人が多い程の力作だ。真剣を構える剣士の心理や立合の

、将に真に迫る描写。当然に、氏はかつて剣道に熱中した時期があったと思った。それが、無かったという。それでいて

、どうしてあんな描写ができるのか。不思議だ。


 似ている、更には、氏の小説は亜流である、とまで評する人がいることを知り、確認のため、初めて山本周五郎氏の

本を2,3冊買い求めた。鼻につくほどの説教調に、説教を聞くために小説を読むのではないですよ、と言いたかった。

身贔屓でなく、藤沢文学のリリシズムがなかった。好きになれなかった。氏の作品は、似てなどいなかった。ましてや、

亜流などでは断じてない。


 「蝉しぐれ」で藤沢文学に入門した人に、やはり同窓の渡部昇一教授がおられる。教授は、「私も人間ドックに入った


時に藤沢周平を読み出した。偶然それは『蝉しぐれ』であった。それは一種のショックだった。『こんなすぐれた作家を今

まで知らなかったとは』という驚きである。『蝉しぐれ』は読んでいるうちに感動が盛り上がって来て、しばらく読むのをや

めて気息を調えなければならなかった。」と、「藤沢周平のすべて」に書いておられる。因みに、私が鶴岡一中の3年の

夏、南高校英語クラブ出身で帰省中の大学生が開いた英語教室で、私は当時上智大学の学生だった教授に英語を教

わった。そんなこともあって、私は翌春南高校に進学すると迷わず英語クラブに入ったものである。


 このホームページにアクセスされた南高校の同窓生に、藤沢周平氏の作品を読んだことがないという人は、おそらくお

られないと思う。若しおられたら、まず「蝉しぐれ」をお読みになることをお奨めする。私は、海外旅行で知り合った、まだ

藤沢文学に接したことのない人には、「騙されたと思って『蝉しぐれ』を読んでみてください。若しつまらなかったら、本の

代金は私が払います。」と言うのを常としている。そして、皆んな「素晴らしい本を紹介してくれて有難う。」とか、「主人

がファンでした。私も虜になりそうです。」などと手紙をくれる。私が書いた本でもないのに、鼻高々である。勿論、本代

を請求されたことは一度もない。ペルーはクスコのホテルで相部屋だった人は、読んだことの証明に、本の帯まで送っ

てくれた。


 話は前に戻る。氏の長編小説の全てを読み終えると、短編に移った。これがまた素晴らしいのだ。「珠玉」という言葉

がぴったりだ。全ての短編を読んでしまえば、残るは随筆。特に郷里について書かれた作品には、心からの共感を覚え

た。「ふるさとへ廻る六部は」の中の、最近の塩ジャケは塩分が足りない、腹にまだ塩が残っているようないわゆる塩引

きでなければ、というくだりでは思わず快哉を叫んだ。それからしばらくして、湯田川温泉であった鶴岡一中の同期会に

出席した。奈良に戻ってから、帰りしなに従姉妹が持たせてくれたお土産を開いたら、なんと塩引きが出てきた。また快

哉を叫ぶことになる。                              


 やがて、こんなにも素晴らしい氏の作品は、文庫本ではなく、立派な装丁が施された全集本で読み直したいと思うに

至り、実行した。今、ささやかな私の書斎を飾る個人全集は、漱石、鴎外、志賀直哉、そして藤沢周平氏のものである。                    

                       

 

藤沢周平氏と我が母校

藤沢周平著「蝉しぐれ」

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