「蝉しぐれ」、そして鶴岡


                       佐藤新市(昭和30年卒)千葉在住

   とある先輩幹事が、やおら風呂敷包みをほどいて何冊かの文庫本を取り出し、皆の前に展げられた。好きなものを持ち帰っていいのだという。見ると、全てが藤沢周平氏の著作だった。今から20年ほど前のある夜、関西鶴翔同窓会(関西に住む鶴岡南高校卒業生の集い)の幹事会で、討議を終えた直後のことである。しかし、私はご厚意に背を向け、手を挙げなかった。それが時代小説だったからだ。

                      

 氏の高い文名は知っていた。母校鶴岡南高校の先輩であることも、母と同じ旧黄金村のご出身(氏は金峯山麓の高坂で、母は「民田茄子」の民田。)であることも聞いていた。それでも、その著作を読もうという気は全く起こらなかった。偏に、それが、聞くところによれば時代小説だったからだ。時代小説は、広辞苑が「古い時代の事件や人物に題材をとった通俗小説」と定義するように、通俗性を大きな特徴としている。高校時代から、所謂純文学だけが文学であると固く信じていた私は、通俗性故にあらゆる時代小説に目を閉ざしていた。漢字の多くを、小学生の頃に親しんだ「寛永御前試合」、「後藤又兵衛」等々多くの講談本によって憶え、その意味で時代物には大きな恩義があることをすっかり忘れていたのだった。

 

 それからしばらくしたある朝、私は東京へ出張すべく奈良の自宅を出た。旅の無聊を慰める本を持参し忘れたことに気付き、京都駅で立ち寄ったキヨスクで偶々目に入ったのが、先夜、先輩がしきりに奨めていた「蝉しぐれ」だった。車中で読み始めて驚いた。なるほど、主人公は牧文四郎という少年武士であり、住む地は海坂藩、頃は江戸時代であるが、彼が吐く息吹は現代に生きる少年のそれと全く変わらない。親友の小山田逸平・島崎与之助との熱き交友も、隣家の娘ふくに抱くほのかな想いも、私たち自身が経験したことではなかったか。底辺に流れる崇高なまでのリリシズムはまさに現代のもので、私を惹きつけて離さなかった。こんな時代小説があったのだ。東京に着くまで、いつもは欠かさない富士山を眺めることも忘れて、読み耽ったことだった。  

                   

私はそれまで、漱石の「三四郎」と井上ひさしの「青葉繁れる」を日本の青春小説の頂点だと思っていた。しかし、「蝉しぐれ」を知っては、これを更にその上に置かざるを得なくなった。これ一冊で氏への偏見から開放された私は、次々と氏の作品を読み漁った。その中で、「海鳴り」が特に印象深い。途中から、主人公新兵衛がこれから陥るであろう暗い運命が察しられて、怖さの余り、読むのを止めようかと真剣に思ったほどの迫真力、筆致。事実、再び読み始めるまでに1週間を要した。いいトシをした人間を、こんな境地に追いこむ小説を、私は他に知らない。「三屋清左衛門残日録」は、評判通りだった。

 

 その後10年余りが経つ。私は、その間に千葉に転居した。すると、いつの間にか氏の著作の愛読者になっていた大学時代の同級生たちが、海坂藩に案内しろと言い出した。平成20年の孟宗が旬の頃に実現するのだが、実は、最上川を下って鶴岡に入ってからも、私が世界で一番好きな街鶴岡(二番目はヴェネツィア)が、10人の仲間の目にはただの田舎町に映ることを心底懼れていた。杞憂に終った。皆鶴岡を気に入ってくれ、こんな素晴しい街に生まれ育った君が羨ましい、君が異常なまでに郷里を愛する訳が分った、とまで言う。大宝館、致道館、致道博物館などを散りばめた公園の辺りの雰囲気が言い様が無い程に素晴らしく、また、街全体に文化の香気が立ち込めているのだそうな。仲間の一人は、ほんの数日滞在しただけの鶴岡を爾来第二の故郷と称し、新聞や雑誌で鶴岡にまつわる記事を目にすると、我がことのように喜んだり、心配してくれている。3年後の去年、今度は芋煮会の頃に同じ仲間で再訪した。米沢・上山・山形から湯殿山を経て鶴岡に入り、今度も泊った湯田川で、また同じ友人に民話を語っていただく。件の仲間が、それをまるで音楽を聴いているようだと感嘆した。

 

 私は今、鶴岡を二度訪れた仲間たちと一緒に、「藤沢周平江戸文学散歩」と銘打って、氏の江戸市井物の舞台である下町のそぞろ歩きを楽しんでいる。初回から第3回までは、「橋ものがたり」所収の短編に現れる橋を巡った。もとより、今ではどの橋も鉄製で、浮世絵に見る面影は無い。それでも、この萬年橋の前身で幸助とお蝶が5年振りに会った、と「約束」の世界に浸るのがまた楽しい。朝の両国橋に立てば、「思い違い」のおゆうが、俯き気味に、少し急ぎ足に渡って来る。そのまた向うに、スカイツリーが見える。

 

親しい大阪の友人に、奥さんと一緒に海坂藩に行きたいと言われ、それに合わせて帰ったりもした。来年は、大阪のゴルフ仲間と鶴岡で腕比べだ。他にも、関西には海坂藩に案内しろという友人が何人かいる。鶴岡にも観光大使の制度があると聞くが、私は勝手観光小使(しょうし)。それなりに、忙しい。

[追記]本欄では「読書の奨め」的なエッセーが期待されているだろうに、誇るような読書歴を持たないこともあって、大きく逸脱してしまった。ご寛恕乞う。


                                  2012年10月9日 記
 


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