度重なる風雨、気温の激変、必ずしも安らかではない気候の中咲き初めた桜も、ここ数日の穏やかな日和の中、満面の笑みで咲き誇り、かつ散り初めています。まさに春を寿ぐ花木です。
「さくら」の語源は一説に「さがみ(=田の神)のくら(=座)」―― 冬の間山に上がっていた田の神が、春になって里に下りてきて桜の木に宿り、花を咲かすのだそうです。古く、農民は桜にお供えをして豊作を祈ったとのことです。桜の御神霊、木花開邪姫(このはなさくやひめ)が今も多くの信仰を集めているのも、桜への畏敬の念が根本にあるからでしょう。
ものごとの始まりを寿ぎ、促すような桜に誘われるように、私どもも動き始めます。4月25日(日)奈良金春会初回、今年度はまずこの回からご案内します。
○奈良金春会 奈良県新公会堂 午後1時始
6月27日(日) 「箙」金春憲和・「舟弁慶」佐藤俊之
10月17日(日) 「玉葛」金春康之・「遊行柳」金春安明
11月21日(日) 「老松」金春穂高・「枕慈童」橋 忍
○伊勢神宮奉納能
4月28日(水)「熊坂」ほか
○興福寺薪能 於:興福寺・春日大社
5月11日(火)・12日(水)
○大阪金春会 大槻能楽堂 午後6時始
7月7日(水) 「弱法師」ほか
10月20日(水)
○平城京遷都1300年記念能 平城宮跡 午後6時始
10月30日(土) 「春日龍神」
シテ:橋 忍
上野国佐野(今の群馬県高崎市)の夕暮、旅の僧が行きかかります。この僧、実は鎌倉の五代執権北条時頼、出家して最明寺入道道崇。身をやつして諸国を巡っています。降りしきる雪に一夜の宿を行きがかりの家に求めます。帰宅した主は、窮乏故にろくなもてなしもできぬと一度は宿を断りますが、妻の勧めもあり僧を呼び返します。
主の名は佐野源左衛門尉常世。領地を一族の者に横領され、訴訟も適わず、困窮しています。もてなす食事も粟の飯、暖をとらすに薪も不足し、大事に育ててきた梅、桜、松、三鉢の盆栽を切りくべてもてなします。僧は貧しさの中のもてなしの心、また「いざ、鎌倉」となれば、真っ先に馳せ参じ、合戦となれば望む敵と戦って討ち死にせんとの鎌倉武士の気概に感じ入りつつ、この家を後にします。
さて鎌倉に戻った僧、時頼は関八州に号令をかけ、小名大名を鎌倉に参集させると、確かに最もみすぼらしいいでたちで真っ先に駆けつけた者が常世でした。時頼は喜び、常世の横領されていた土地を安堵し、さらに薪にしてくれた梅、桜、松の返報にと木の名にちなんで、加賀の梅田、越中の桜井、上野の松井田の三箇庄を与えます。誉れを得た常世は、揚々と帰路につきます。
茂山あきら・佐々木千吉・茂山童司
シテ:金春穂高
藤原不比等の子、房前(ふさざき)は母を知りません。讃岐国志度で死んだとは聞いていますが、詳しいことは誰もが口を閉ざします。房前はともかくも母の追善供養のために讃岐に向かいます。
到着したところは我が名と同じ房アの浦。出生とも関わりがありそうな地です。おりからやってきた海女―― 実は房前の母の霊で、死後もその魂は生前の海女としての想念の中に生き、海女の業わいの中にさまよっています。母子の因縁によって二人の世界が重なり、言葉を交わすことになります。
二人は互いに母子であることを知り、海女の霊は求められるままに房前の出生の秘密を語ります。―― 昔、房前の父・不比等の妹が唐土の高宗皇帝のもとに嫁いだ縁で、皇帝から藤原氏の氏寺・興福寺に三つの宝を贈られることになった。その運搬の途中、この志度の海で嵐に遭い宝の一つ「面向不背の玉」を龍神に奪われてしまう。不比等はそれを残念に思い、この浦の海女乙女と契りを結び一子をもうけ、その子を自らの世継にする約束をして宝珠を取り返してくれるよう海女に頼む。我が子の出世のためならば命も惜しまじと海女は利剣を持ち海中深く潜っていく。地上で待つ不比等と我が子との永遠の別れを悲しむ心を振り切って竜宮へおどり込み、見事に宝珠を奪い返す。しかし、海上に引き上げられた海女は怪我と悪龍の毒のために、やがて息を引き取った――。
語り終えた海女は、手紙を房前に残して波の底に消えていきます。
追善供養の用意も調い、渡された手紙を開いてみると、闇に迷う母の魂を弔って欲しいとの手蹟、あらためて孝行の気持ちで法華経読誦をはじめとして様々の供養を執り行います。その法要の場に、海女の成仏した姿として龍女が現れます。本来、女は成仏できないもの。しかし、法華経は女でありしかも畜生の類である龍女が成仏する様子を語っています。その縁で海女も龍女として成仏できたのです。女はその愛欲の強さ故に成仏できないとされています。この海女も子への愛欲・執着故に命を懸けました。しかしその心によって我が子からの追善供養を受け、法華経の力で女人成仏が成し遂げられたのです。ここに女人を迷わせる愛欲が成仏につながっていく道筋が示されています。
龍女は子と向き合う母としての思い、成仏の喜び、それを導いた法華経への信仰など、こもごもの思いを胸に舞を舞います。